果たして、人間における理想の家庭(子育てや両親の世話なども含む)とはどういうものであろうか。この問題を考える視点として、「男と女の関係を決める要素とはどういうものか」をあげてみたい。すくなくともこの視点から考えることによって、理想の家庭とはどういうものなのかがわかってくる。動物でも人間でも、オスとメス、男と女の関係には、次の二つの法則があげられる。一つは、力の強いほうが勝つ。もう一つは、貢献度の大きいほうが勝つという法則である。例えば、オスとメスのどちらのほうが強いかをみると、哺乳類の大多数は、オスのほうが大きくて強い。馬などは例外で、オスとメスの力の差があまりない。鳥類もオスとメスの差があまりないほうである。動物の中で、メスのほうが強いというのは極めて例外的で、一部の昆虫などにみられる。このように動物の種類によって、オスとメスの力の差があったりなかったりするわけだが、これは何故なのであろうか。これは、オスとメスの力の差のあるなしは、夫婦関係の形態に関係しているように考えられる。例えば、一般的にオスのほうが強い哺乳類の場合、97%は一夫多妻制である。オットセイなどは、一匹の強いオスが何十頭ものメスを抱えている。ライオンで数匹である。それに対して、オスとメスの差があまりない鳥類の場合は、90%が一夫一妻制である。こうみると、オスのほうが強い場合は一夫多妻となり、力の差があまりない場合は一夫一妻になっていることがわかる。 さて、人間ではどうであろうか。人間の場合、全人類でみると、一夫多妻も少なくないが、先進諸国ではおおかた一夫一妻制である。他の哺乳類と比べると、男と女の力の差があまりないせいか、例外的に一夫一妻の割合が多い。それでは、一夫多妻と一夫一妻という、夫婦の形態の違いは、どこから生じてくるのであろうか。一夫多妻の場合からみていくと、オスはもともと子孫を多く残すために、たくさんのメスと交尾したがるという特性を備えている。メスの特性は、強い子孫を残すという種保存の本能が強いことである。その結果、メスはどうしてもより強いオスを求めるから、特定の強いオスは一夫多妻になる。一夫多妻では、オスは子どもの面倒をみない。いや、正確に言えば、オスは子どもの面倒をみきれなかった。したがって、メスは自分一人で子育てをしなければならない。それでもいいとメスが思っているのは、子育てにオスを参加させるよりも、強い子孫を残すことを優先しているためである。一方一夫一妻の場合、メスの立場からすると、強い子孫を残す点では十分ではない。そのかわり、オスを子育てに参加させられるというメリットがある。したがって、子育てが難しい動物の場合は、一夫一妻になる。鳥類が一夫一妻で、オスでも卵や雛を抱いている種類があるのは、子育ての期間が長く、それだけ外敵に襲われる危険があって、大変だからである。だが、この一夫一妻は何故、成り立つのであろうか。動物行動学者の日高敏隆はその著『動物たちの戦略〜現代動物行動学入門〜』で、次のように説明している。「オスとメスでは、オスの方が性衝動が強い。交尾しないでいることに我慢ができない。メスは交尾をしなくても我慢していられる。メスが、その我慢さを発揮して、オスに交尾させる前にいろいろなものを前払いさせることによって、一夫一妻は成り立つ。具体的にいえば、交尾を求めるオスに対して、メスは簡単に交尾を許さない。どうしても交尾をしたいオスは、メスに気に入ってもらうために、せっせとエサを運んだり、巣を作ったりする。つまり、一生懸命前払いするわけである。それでメスに気に入ってもらえて初めて、交尾ができる。メスは一度交尾を許すと、継続的に交尾を許す。そのかわりに、オスにも子育てに参加することを要求する。その時になって、オスが『そんなことはいやだ。他のメスと交尾したい』と思っても、他のメスと交尾するためには、また大変な苦労をして前払いしなければならないから、結局はあきらめる」こうして一夫一妻が成り立つわけである。例えば、日本の結納制度なども、この前払いの一種であろう。もっとも同じ一夫一妻でも、その中身は現実には、非常に厳密なものから緩やかなものまでいろいろある。例えば、鳥類でいえば、ツルは夫婦の絆がとても強くて、厳密な一夫一妻である。仲がいい夫婦の形容に使われるオシドリは、意外にも、それほど厳密な一夫一妻ではなく、季節的なもののようである。日高氏の報告によれば、一夫一妻である白サギやカラスのオスを去勢して実験してみたところ、つがいのメスが産んだ卵の3割から4割は有精卵だったという。つまり、メスの3、4割はつがいのオス以外と交尾(つがい外交尾)をしていたことになる。さらに、つがい外交尾研究の第一人者である、行動生態学者のアンドルー・コーバンによれば、つがい外交尾の世界記録を持つルリオーストラリアムシクイという鳥類の場合、なんと75%のヒナがつがい外交尾で生まれたという。つまり、多くのメスが夫以外のオスを受け入れていたことになる。さて、一夫多妻か一夫一妻かという観点のほかに、母系社会か父系社会かという見方から、動物や人間をみることもできる。この見方からいうと、平塚らいてうが、「元始、女性は太陽だった」と述べているように、人類は本来は母系社会だった。 太古の昔は、男は狩り女は農耕という違いはあるにしても、ともに対等に働き家族に対する経済的貢献度が同じだったから、女にしか子供は産めず、親子関係の証明母と子の場合は明らかであるという事情が生きて、母系社会となった。母系社会では、女性は何人かの男性と関係を持つこともできるし、男性を選ぶ選択権は女性にある。どの男性の子どもを産むかも女性が決める。そして生まれた子どもは、女性が育てる。家族は女性を中心にして成立していた。 例えば、万葉集など源氏物語以前の記録には、日本も平安時代の中頃までは母系社会だったことがわかる。通い婚、妻問い婚といって、男性が女性のもとにせっせと通い、時には女性に拒否されたりする様子が描かれている。もちろん子どもは、女性の家で育てられている。又、チベットの山奥には、今でも母系社会が残っているところがある。周囲を湖に囲まれた場所で農耕生活を営み、女性は人によっては何人かの男性と関係をもっている。そのため、男性は女性のもとに通うわけである。 こうした母系社会では男性は極めて不安定な状態におかれる。相手の女性がいつ他の男性に心が移るかわからないし、女性に子どもが生まれた場合でもそれが自分の子どもかどうかもわからない。そこで男性が自らの父性の証明をしようと思ったら、相手の女性を家に閉じ込めておいて、浮気のチャンスがないように女性を支配するしかない。しかし、女性が男性と対等の経済力を持っている状況では、男性はそうしたくてもできなかった。 母系社会から父系社会への移行が起きたのは、狩りや農耕といった生産手段を超えて人口が増えるようになるにつれて、食べていくため人間同士による殺し合いが起きるようになったからである。戦いになると、力の強いほうが勝つ。力の強さはやはり男のほうが上である。その男が戦わないと、女も殺されるか奴隷にされる恐れがあった。そこで、女としては男を立てて、従ったわけである。それが男女や家族の関係にも反映して、男中心の父系社会になったと考えられる。さらに、人間同士の戦争の時代は長く続き、第二次世界大戦後も世界の至るところで民族や宗教による紛争が起きているが、一般的に発展途上国ほど父系社会の原理がはたらき、先進国ほど父系社会の原理である力の法則や貢献度の法則は空洞化してしまう。 例えば、発展途上国では、生産力がいまだ十分発達していないにもかかわらず、産児制限をしていないために子どもがたくさん産まれてくる。そこで、食べていくためには他の民族や国家と戦って勝たなければならない。そのため、力の強さが求められて父系社会になる。それに対して先進国では、産児制限をして子どもをあまりつくらなかった。その結果、人口が生産力を超えることがなくなったので、自ら戦争を仕掛ける必要がなくなった。戦争がなければ、男の力の法則は重要でなくなる。又、貢献度にしても、産児制限の結果子育てが楽になり、女性が社会進出して経済力をつけてきたため、男の経済的貢献にせまってきた。 例えば、スウェーデンやデンマークのような福祉先進国になると、国が子育てに参加してくるのでその傾向は一層強くなる。女性は男性と同等に働けるので、経済的貢献度は男女同等になる。そして、子どもを産むという貢献は女性にしかできない。そうなると、貢献度ではトータルで女性が上になり、もう一つの力が強いほうが勝つという法則が働かない社会になると、その社会では当然女性優位の社会になるわけである。さてそこで、今後の日本はどうなっていくのであろうか。たしかに、戦前までは日本も父系社会の考えできていた。力の強いほうが勝つという法則が明確にはたらいていたのである。生産手段も男が独占していたから、貢献度の高いほうが勝つという法則からいっても、明らかに父系社会だった。その結果、選挙権は女性には与えられず、なによりも貞淑であることが求められた。男の遊びは問題にされなくても、女性の浮気は離婚の原因とされた。 しかし、日本が平和の中で著しい経済成長を遂げるにつれ、父系社会は崩壊の兆しを見せ始め、母系社会復活の兆候が徐々に現れてきている。例えば、人妻の浮気が多くなった。夫の浮気を理由に妻の側から離婚するケースも増えてきている。又、若い男女の関係にしても、ひと頃、若い女性が複数のボーイフレンドを持ち、アッシー君、ミツグ君などと呼んで、便利に使い分けしていることが話題になったが、これなども女性のほうが強くなり、女性が男性を支配しているいい例である。そして、なによりも女性が社会進出して経済力をつけるようになり、簡単に結婚したり子どもを産まなくなった(F参照)。これは、子どもを産むということの貢献度の大きさを男性に自覚させ、その決定権の強さを男性に誇示する効果を持っている。母系社会が復活することが、女性や男性にとって幸せなのかどうかはわからない。おそらくそれは、個人個人によって違ってくるだろう。ただ、そういう方向に変化しつつあることはまぎれもない事実である。
「F」
A女性の賃金が高い地域(全国47都道府県)では低い傾向がみられる出生率
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序章 学問とは自発的行為である 学問とは自己満足の世界である 学問的行為者の学問的行為 学問は必ずしも社会の役に立たないのは当然 私的空間と公的空間をつなぐ方法−論文− 序章での引用文献・参考文献 第T章 何故、日本の物価は世界と比べて高いのか(経済学) (1)はじめに (2)為替レートの変化 (3)内外価格差の現実 (4)むすび 第T章での引用文献・参考文献 第U章 何故、戦争は起こるのか(国際政治学) (1)はじめに (2)戦争の歴史 (3)経済的要因からみる戦争の出現 (4)生物学的要因からみる戦争の出現 (5)何故、戦争は起きるのか (6)経済制裁で、北朝鮮を追いつめてはいけない (7)むすび 第U章での引用文献・参考文献 第V章 何故、男は女を愛し、女は男を愛するのか(大脳生理学) (1)はじめに (2)男が女を愛し、女が男を愛する理由 (3)男と女の関係を決める要素は何か (4)男と女のつりあった関係 (5)むすび 第V章での引用文献・参考文献 終章、あとがき |