第2節 工業化政策
1、モノカルチュアからの脱却
タイは19世紀末には輪出の7割が米、北部のチーク(舶舶、家具、建築用木材
の1種)、南部のスズ(錫)を加えると実に輪出の9割がこれら3品目によって占
められるという典型的な少数の特定産品に依存する経済構造(モノカルチュア)が
形成される。これらの特定産品が1次産品であり、天侯等の原因によってうまれる
輪出所得の不安定性が経済全体の不安定につながるため戦後工業化に着手し始めた。
2、国家主導型工業化
戦後、タイ政府は国家中心の経済運営を展開し、欧米資本、華人資本を制限、外
国企業の進出に閉鎖的であったため、新技術や近代的な経営手法の導入ができない、
国営企業の非効率化が顕在化した。
3、民間主導経済への転換
50年代末、タイ政府は世銀勧告を全面的に採用し、国家指導型から民間主導型
の工業化へと180度の政策転換を行った。
4、輪入代替型工業化
60年代はタイの開発の時代で、産業投資奨励法が公布され、内資・外資が差別
なく適用された。この時タイ政府が採用した工業型政策は、輪入代替型工業化政策
であり、耐久消費財と非耐久消費財の国内生産が奨励され、高関税による産業保護
政策がとられた。外国の企業はタイ国内市場の確保と高関税を回避のためタイの進
出を開始した。高関税は為替レートの過大評価をもたらし、機械設備と原材科の輪
入の拡大によって国際収支赤字は年々悪化した。
5、輪出志向型産業の振興
70年代に入るとタイ政府の工業化政策は輪出志向型作業の振興に転換し、農業
を中心とした国内資源活用型及び労働集約型の輪出産業に重点がおかれた。
6、調整期の1980年代
60年代からタイ経済の成長を主導してきたのは海外からの国内投資であった。
対外債務は輪出を上回ったため、タイ政府は工業化政策を調整し、輪入規制や価格
統制の緩和などあらゆる面から経済構造の改善を行った。80年代後半、輪出の回
復、円高を背景に日系企業の外国直接投資の拡大、商業や観光などの第三次産業の
活況化などを理由にタイ経済は急数に発展すると共に社会的、経済的に新たな問題
も顕在化し、開発政策にも新たな対応が求められた。