ドイ・モイ政策とは、社会、経済、思想などの面でベトナムを新しい方向に変化 させていこうと1980年代半ばから進められてきた政策であり、ドイ・モイの中 心は、経済改革と対外開放政策である。
1976年 ベトナム再統一 共産党第4回全国大会 長期的経済発展戦略 ・重化学工業を重視する政策「社会主義的工業化」 ・全国的規模で経済活動を社会主義化 | ↓ 失敗
1982年 共産党第5回大会 ・社会主義の過渡期の見直し ・農業・軽工業が発展して初めて重工業の発展が可能 1986年 共産党第6回全国大会 ・第5回で決定した工業化路線をさらに体系化・具体化 ・ドイ・モイ政策を打ち出す (ベトナムの比較優位構造を意識した国際分業型工業政策) 1991年 第7回党大会 「2000年までの経済・社会の安定化と発展戦略」 ・農林水産品を加工する工業、農林漁業に資本財、中間財を供給する 工業を中心に発展する戦略。 ・自動車、石油精製、肥料など個別産業についての計画、政策の策定 の準備。
その他ドイ・モイ政策の経済への影響
マーケットメカニズムの重視 ・商品の価格は市場の需給関係に委ねられる。 政府の価格決定 → 灯油・輪送・交通手段 多様な所有形態 ・私営、個人経営、国営、外資所有などを示し、あらゆる所有形態も経済発展のた めとみる。 商品経済の計画的発展 ・市場機構も最大限に尊重し、政府が経済政策の諸手段を通じて市場を調整する。 外資導入法制定 ・外国企業の100%所有、法人税の減税、外資送金の保証など優遇措置を提供。
ベトナム経済は1980年代からマクロ的にきわめて不安定で、猛進インフレ、 生産停滞、膨大な経常赤字、通貨価値の下落などに直面した。
1986年 経済改革・対外開放政策の下で農業生産の回復。 1989年 インフレ鎮静など経済状況が改善。 ↓ しかし、強引な引き締め政策によるインフレ対策により、工業生産の 停滞をもたらした一方、工業生産の回復をはかる財政金融政策または、 インフレを再燃させるというディレンマが続いていた。
1992年 種々のマクロ経済指標がそろって良好な成績を示す
貯蓄・投資 1986から89年の期間にベトナムの粗資本形成はほとんど海外の資本で賄わ れ、国内貯蓄はほぽゼロであった。1990年から92年には国内貯蓄が増加した 結果、国内投資の約半分を賄えるようになった。いずれにしても、ベトナム経済は 貯蓄・投資ギャップと外国為替ギャップという開発途上国の典型的な特徴を持って いる。以上のように現在のマクロ経済パフォーマンスは良好的であるが、投資率が 低く、貯蓄・投資ギャップと外国為替ギャップが依然として大きい。このような状 況下で外国からの資本流入が現在の水準より大幅に増加しなければ、経済開発プロ ジェクトへの投資拡大は困難であろう。また、国営企業の解体、行政改革などに伴 う完全失業者・部分的失業者、農村での偽装失業者が相当数に上っており、労働集 約的工業、労働吸収力が大きいサービス産業の発展も急務になっている。