郷鎮企業は1949年の新中国の成立と伴に計画経済を採用し、1978年の改革開放から市場志向経済となった中国の歴史から生まれた。郷鎮企業のル−ツをたどっていくと1951年頃に成立した農業生産合作社にたどりつく。
農業生産合作社は農村に存在した工業製品への需要に応え、農業生産を増大させることを目的とした。あくまで農村副業であり、利益は農業生産へ投資された。
1958年になると農村の人民公社化が図られ、農業生産合作社は人民公社へと編入された。人民公社営農村工業は、農村工業化と農業機械化を目標としてかかげ政府資金も投入されたが、かえって農村経済を疲弊させる結果を招き、あまり成功しなかった。そのため中央政府は以前の農村副業を中心とする経営に戻すために人民公社の中の生産隊を経営主体にするなどの改善を行なった。中国における農村工業は郷鎮企業が現われるまではあくまで農業生産を発展させるための手段であった。またそれは中央政府の政策によって大きな影響を受けて、決して順調に発展しなかったことは表3-1からもわかる。しかし、それら農村工業が中央政府の政策によって制約を受けながらも農村に存在した需要に供給してきたことは注目するべき点である。また非難されがちな中央政府の政策も図3-2から類推するとそうはならないかもしれない。どちらも今日の郷鎮企業発展のためには欠かせない要素であったということができるだろう。
表3-1 経営形態別農村工業生産額の推移 (単位=億元)
出所:舒小明(1997)『中国の農業セクターにおける郷鎮企業の一考察』,6頁。 |
図3-2 農村工業の生産額構成比(1978年)出所:舒小明(1997)『中国の農業セクターにおける郷鎮企業の一考察』,7頁より作成。 |
郷鎮企業の”郷”と”鎮”はどちらも中国の行政単位である。中国には22の”省”、5つの”自治区”、北京、上海、天津、重慶の4つの”中央直轄市”、合計31の省市があり、それらを一級行政単位としている。更にこれらに属する”市”や”区”があり、そしてその下に”県”がある。県の下に第四級行政単位の”郷”と”鎮”がある。郷と鎮の下には更に”村”がある。
郷鎮企業はその名の通り行政単位の”郷”と”鎮”によって経営されていると考えても間違えではないが、それは狭義の郷鎮企業である。
広義の郷鎮企業は多種多様な企業群の総称なのである。それは所有形態によって以下のように分類されている。
郷鎮企業の定義はおよそ以上のようになるが、もっとも重要なのは1978年以降の改革開放による市場志向経済がもたらした変化であり、農村工業の役割が農業生産の補完だけではなくなったことである。具体的には1979年に国務院が発表した「社隊企業を発展させるための若干の問題に関する規定(試行草案)」に示されている。その規定によれば、郷鎮企業の発展の目的は第一には農業生産に、さらに国民生活、大工業、輸出の振興に奉仕することにあり、経営にあたっては、「因地制易」(各地の事情にふさわしい方法、手段)の原則の下に現地の資源を基本とし、原料、動力の確保を巡って、先進的な大規模工業と競争することは避けるべきであるとしている。
郷鎮企業経営を許容する範囲として具体的に以下のような業種をあげている。
郷鎮企業は中央政府によってこのような制限を受けながらも発展し、今日では中国経済を支える大きな柱となっている。次節では更に郷鎮企業を統計で分析する。
はじめに 第1章 中国経済の特徴 第1節 比較体制論と経済開発論 第2節 中国の経済史概略 第3節 巨大な国土と人口 第2章 開発経済学のアプローチ 第1節 工業化政策 第2節 W.W.ロストウの離陸 第3節 二重経済発展モデル 第3章 農村における近代的工業部門 第1節 郷鎮企業の発展過程 第2節 郷鎮企業の統計分析 おわりに 参考文献 |