中国の日本人日本語教師
多様化する日本人教師と課題
内田真人
2008年8月
はじめに
中国の日本語教育の概要については、国際交流基金の「日本語教育国別情報:中国」が詳しい。2006年の調査によると中国の日本語のネイティブ教師、つまり日本人教師は2,065名で、教師数の16%を占めている。
これら日本人教師は、JICAや日中技能者交流センター等の日本の機関から派遣されている方と個人契約の方に大別できる。私は、個人契約で教師をしていたことがあり、少なくとも北京では個人契約が増えていた。そこで、他にはどのような方が中国で日本語教師をしているのか調べてみることにした。
周知のとおり中国は物価が安く、人件費も安い。日本人教師もその例外ではない。日系の日本語学校でも月給10,000元(約14万円)以上は少ない。地域によって物価も違うのであくまで目安だが、公立の大学や高校では月給3,000〜6,000元(約4.2万円〜8.4万円)が相場だろう。現地の日本語学校等は、月給2,000〜5,000元(約2.8万円〜7万円)である。
かつては日本の中学や高校で国語教師をしていた方が退職後に中国の公立学校で数年日本語を教えるケースが多かった。90年代末からは民間学校の設立が容易になり、日本語学校等で働く方も多くなっている。
下記は主にインターネットで検索した結果である。
- 日本語教師ヨッサンの中国体験記:吉田(70代、男性)さん。元中学教員。以前、湖北省の大学で常勤教師。
- 中国珍生活in哈爾濱(ハルピン)~日本語教師の巻~:qizi(女性)さん。以前、黒龍江省の大学で常勤教師。
- 日本語教師の見た中国とか:pa-hippy(男性)さん。以前、中国で常勤教師。現在、日本で常勤教師。
- 咲のぺ〜じ:咲(30代、女性)さん。以前、山東省の高校で常勤教師。現在、主婦で教師休業中。
- 中国へ日本語教師として:眞鍋(男性)さん。以前、上海で駐在員。日本キリスト教協議会からの派遣。現在、江西省の大学で常勤教師。
- やっぱり日本語教師:asagoromo(女性)さん。以前、南京と広州の大学で常勤教師。
- 日本語教師への道:zhuozi(女性)さん。以前、天津の日本語学校で非常勤語教師。中国の方と結婚し、天津在住。
- 上海日本語教師日記:上海颱風さん。上海の中学と高校で常勤教師。
- 新米日本語教師のクローバー日記:クローバー(男性)さん。上海の日本語学校で常勤教師。
- 瀋陽で日本語教育:awazaa(男性?)さん。瀋陽の大学と大学院で常勤教師。
- ただのおじさんの日本語教師体験記:忠野小路(60代、男性)さん。定年退職後、河北省の日本語研修センターでボランティア教師。
- 徒然なるままSUZURION::魑魅魍魎(男性)さん。浙江省の大学で常勤教師。
- 日本語教育プロジェクト:上野さん。以前、黒龍江省と山東省の日本語学校で常勤教師。現在、日本で常勤教師。
- ☆日本語教師INチャイナ☆:☆しゅー☆☆★(20代、女性)さん。以前、武漢の高校で常勤教師。現在、語学留学生。
- 在中国・出稼ぎ日本語教師 ねこまにあ的生存記録帳:ねこまにあ(女性)さん。以前、広東省の大学で常勤教師。
- 発信中国の大地から:にし(男性)さん。江蘇省の大学で常勤教師。
- 香港大学院&日本語教師生活:mayucha(女性)さん。以前、日本で日本語教師。香港に留学中。香港の日本語学校で非常勤教師。
- 夢の地図 〜新米日本語教師の中国日記〜:ラブラブタイガース(20代、女性)さん。江蘇省の日本語学校で常勤教師。
- ☆臨機応変生活☆in中国:sacha(20代、女性)さん。中国で常勤教師。
- 中国大連雑記:男性。以前、北京と大連で常勤教師。中国の方と結婚し、大連在住。
- 平成の仲麻呂、北京を行く:仲麻呂(男性)さん。以前、中国で非常勤教師。中国の方と結婚し、北京在住。現在、北京の大学院に留学中。
- 特急便 東莞滞在記:大西(40代、男性)さん。以前、広東省の日本語学校で非常勤教師。中国の方と結婚し、広東省在住。現在、広東省の日系企業で社員。
- 信男教育久能克也的博客(ブログ):久能(男性)さん。上海の日本語学校で常勤教師兼教務。
- M.U Personal Network:内田真人(30代、男性)。元語学留学生。以前、北京の日本語学校で副校長。現在、香港の日系企業社員。
- 熨斗(30代、女性)さん。私大日本語教育学科卒。以前、元湖南省の大学で常勤教師。現在、広東省で会社社長。文献[1]
- 綿貫(60代、男性)さん。元中学校教員。吉林省と江蘇省の大学で常勤教師。文献[2]
- 笈川(30代、男性)さん。北京の大学で常勤教師。文献[3]
- 成田(30代、女性)さん。私大日本文学科卒。以前、上海の高校で常勤教師。現在、上海の中国企業社員兼非常勤教師。文献[5]
- 寺村(70代、男性)さん。中国東北地方出身の日本人。日本の会社を退職後、大連に語学留学。大連の日本語学校で非常勤教師。文献[6]
- 井上(60代、男性)さん。元高校教員。黒龍江省の大学で常勤教師。文献[7]
- 井沢(60代、女性)さん。元中学校教員。上海でボランティア教師。文献[8]
- 青木(女性)さん。広東省の高校で常勤教師。文献[11]
- 石塚(女性)さん。広東省の高校で常勤教師。文献[11]
- 西山(女性)さん。広東省の高校で常勤教師。文献[11]
主にインターネットから34名のケースを収集できた。
まず、所属機関は、大学12名、高校7名、日本語学校等10名、不明5名である。
次に役職は、教務以上2名、常勤教師24名、非常勤等8名である。
それから、年齢は、20代3名、30代5名、40代1名、50代0名、60代以上6名、不明19名である。不明が一番多いが、大半は若い世代であろう。
これらを参入動機、言い換えれば、中国で日本語教師をするキッカケと流出原因、つまり日本語教師を辞めてしまった原因に分けて、下記に分類してみた。
サンプルが少ないので、北京の日本語学校で教務として採用した常勤教師37名と非常勤教師数十名も参考にする。
参入動機
- 中国留学型:仲麻呂さんやmayuchaさんが典型的。北京の日本語学校で採用した非常勤教師の半数以上がこのタイプである。基本的に国際交流基金の統計には含まれていないだろう。日本人教師予備軍の主力といえるが、非常勤やボランティアが一般的である。動機は日本語教育よりも中国人との交流や中国語学習の一環が多い。
- リタイヤ型:吉田さんや綿貫さんが典型的。以前から中国の日本人教師として重要な役割を果たしてきた。特に元国語教師の方は極めて高い専門性がある。一方、その他シニアの方の動機は、社会貢献が多い。
- 日本語専攻型:熨斗さんや成田さんが典型的。当初、成田さんは英語圏で常勤教師を目指したようだが、競争はかなり厳しかったようだ。高い専門性を有するが、中国では十分評価されているとは言えない。中国の日本語教育でも中核となってもらいたい人材だが、後述のように流出が深刻である。
- 国際結婚型:zhuoziさん、中国大連雑記さん、仲麻呂さんと大西さんは中国の方と結婚されている。ただし、中国大連雑記さんは国際結婚が日本語教師を辞めるキッカケになっているようだ。国際結婚は日本語教師になるキッカケにもなるが、特に男性の場合、流出原因にもなる。なお、上記の方々が国際結婚を契機に日本語教師になったのかは不明である。むしろ中国で日本語教師をしたことが、国際結婚のキッカケになった可能性の方が高い。
- 駐在員奥様型:インターネットでは見つからなかったが、北京の日本語学校で非常勤をしてもらった方が数名いる。留学生と同様に日本人教師予備軍である。北京では大変優秀な方が多かった。動機は中国人との交流が多い。
日本語教師の待遇について議論するとしばしば言及されるのがいわゆる「市場原理」である。日本人教師に関しては、参入が容易であるがゆえに日本人教師の供給が過剰になり、給与は安くならざるをえないというものである。
その為、教師の中には、とりわけいわゆる有資格者でない方が参入することに眉をひそめる方もいる。しかし、学習者にとっては、安価な教育サービスを利用できる機会でもある。動機が社会貢献であれ、中国人との交流であれ、中国語学習の一環であれ、日本人教師になってくれるなら、基本的に歓迎すべきである。
今、日本人の常勤教師に求められているのは、従来に比べて多数参加してくれることになった日本人教師の利害を調整しながら、マネージメントをしていくことかもしれない。
流出原因
34名中、現在、中国で日本語教師をされていない方は14名である。原因を分類すると下記の通りである。
- キャリアアップ型:pa-hippyさんや上野さんが典型的。日本で常勤教師になるには経験が問われるが、中国では有資格者であれば、すぐに常勤教師になれる。中国の経験がキャリアアップにつながっているので、中国からの流出とはいえ、歓迎するべきタイプである。
- 再リタイヤ型:綿貫さんが典型的。年齢的に他5名もすでに再リタイヤしているだろう。年齢制限により65歳以上は就労査証、いわゆるZビザが非常に取得しにくくなる。
- 帰国転職型:インターネットでは見つからなかったが、北京の日本語学校で常勤や非常勤をしてもらった方に多かった。
- 中国転職型:中国大連雑記さんが典型的。中国転職に関する自己分析もある。非常勤も含めると大西さんや成田さんもこのケースになるだろう。ユニークなのは熨斗さんで広東省で起業し、会社経営をしている。
- 結婚退職型:咲さんが一例。北京の日本語学校でもあった。
- 駐在員奥様型:インターネットでは見つからなかったが、北京の日本語学校で非常勤をしてもらった方が数名。出産やご主人の帰任がキッカケになる。
流出原因について議論するとまず挙げられるのが「給与」である。しかし、上記のように分類すると給与を上げることが必ずしも人材流出を防ぐ方策にはならない。流出原因を2つに大別すると「非給与タイプ」か、「現地給与タイプ」かのどちらかである。
非給与タイプとは、そもそもプロの教師になるために参入していない方々である。「駐在員奥様型」はこの典型で、給与を上げても流出を防げないだろう。それから、「再リタイヤ型」も中国就労査証の年齢制限と健康問題なので、給与を上げても流出を止められない。また、「結婚退職型」も給与を上げることが、流出の歯止めにならない。「キャリアアップ型」ですら、非給与的な要素があると言える。相対的に高い給与がもらえる日本で常勤教師になるために中国で経験を積んでいるとするなら、中国の給与が若干上がっても流出を止められない。中国の給与水準が日本を上回るレベルにまで達して、ようやく流出を防げる可能性がある。
中国における常勤教師の給与水準 < 日本における常勤教師の給与水準
現地給与タイプとは、「現地採用」である。「中国転職型」は、常勤教師の給与水準を上げることで流出を防げる可能性がある。近年は中国で就職する日本人が増えており、月給10,000元(約14万円)以下の人も珍しくなくなってしまった。ちなみに日系の日本語学校の月給10,000元(約14万円)以上は「現地採用」でなく、日本採用の「出向」になっているケースが多く、比較には適さない。
中国における常勤教師の給与水準 < 中国における他業種の給与水準
中国における常勤教師の給与水準を仮に月給2,000〜6,000元(約2.8万円〜8.4万円)とする。ちなみにこれほど給与にばらつきがあるのは、拘束時間や福利厚生が学校によってまったく違うからである。住居が無償提供され、夏休みや冬休みにも給与がそのまま支給されることもある。これは、中国が社会主義国であることを思い出させる。
中国でとりわけ公立学校の給与水準が低いのは、主として学費が安いことに起因している。安価な教育サービスを提供するために教師の給与は犠牲にするという構造的な問題が存在する。この問題は中国人教師でも解決が容易でなく、まして日本人教師が改革に取り組むのは絶望的である。ちなみに現地の日本語学校は、公立学校より学費が高いことが多いにもかかわらず教師の給与が更に低いのは、学校施設を自前で賄わなければならないからである。経済成長に伴い、物価、とりわけ不動産が値上がりする中で学校施設を自己負担することは容易ではない。ここにも構造的な問題がある。
では、中国の常勤教師の給与水準を上げることはできないのか? 困難はあるが、チャンスはいわゆる「市場原理」にある。中国は経済の市場経済化に伴い、質の高いサービスを国際的な価格水準で購入するようになってきている。サービスの購入者は個人だけでなく、企業もある。この問題に関する実践は、拙著「一日本語学校の視点から見る中国北京の日本語教育---提案型日本語教育の可能性」の「日系企業」でもふれている。新たな市場を開拓することで常勤教師の給与水準を高めていくことは、十分に可能である。
今、日本人の常勤教師に求められているのは、中国の日本語教育サービス市場を分析し、新たな市場を開拓するマーケティングなのかもしれない。
おわりに
中国は日本人が長期に日本語教師を続ける環境が整っているとは言えない。
インターネットの検索では、20代は3名で少数だが、北京の日本語学校では、常勤37名中25名と非常に多かった。若い人が多くなったのは、近年の大きな変化である。これは、就労査証の発給基準の緩和とも関係がある。
日系企業向けの日本語教育サービスを開拓してからは、30代以上を意識的に採用するようになった。しかし、給与水準の改善は、短期では難しく、業界にとどまってもらうのは難しかった。働き盛りで一般に家族を扶養しなければならない30代、40代、50代は業界への参入に躊躇せざるを得ない。インターネットの検索でも40代1名と50代0名でこれを裏付けている。30代の5名は少々予想外だったが、経済問題は絶えず存在し、流出の危機が付きまとう。笈川さんのように「将来、中国で語学学校を経営する」という夢でもなければ、継続は困難である。若干の希望を持てるのは、「中国の日本語学校」を調査してみたところ日本人が経営する日本語学校がいくつかできたことである。社会主義の中国で外国人の私立学校、ましてや日本人の日本語学校設立が認められることは大変画期的である。
まだまだ給与水準の低い中国の日本人教師は、これからも60代以上のシニアの方々には活躍してもらわなければならない。
このように中国の日本人教師は、従来に比べて多様化している。給与水準が低く、専門性の高い若い世代の人材流出は大きな問題である。常勤の日本人教師には、日本語教育の専門知識だけでなく、マネージメントやマーケティングの能力が求められていくかもしれない。中国の日本語教育における画期的なビジネスモデルの創造、つまりイノベーションが切実な課題である。
長期的には、中国の経済発展に伴い、少しずつでも労働環境が改善されることを期待したい。
参考文献
[1] 渡辺賢一(2007)『和僑---15人の成功者が語る実践アジア起業術
』アスペクト。
[2] 綿貫亮(2007)『中国滞在記---日本語教師生活あれこれ』文芸社。
[3] 浅井裕理(2006)『海外へ飛び出すE 北京で働く』めこん。
[4] 吉田道昌(2005)『架け橋をつくる日本語―中国武漢大学の学生たち』文芸社。
[5] 須藤みか(2004)『海外へ飛び出すD 上海で働く』めこん。
[6] 江原規由(2004)『職在中国---40人の日本人が語る就職・起業チャレンジ』ジェトロ叢書。
[7] 井上昌人(2004)『中国黒竜江東方学院での270日---日本語教師体験記』新風舎。
[8] 井沢宣子(1996)『日本語教師が見た中国』三一書房。
[9] 内田真人(2008)「中国の日本語学校---経営に参加する日本人」
[10] 内田真人(2006)「一日本語学校の視点から見る中国北京の日本語教育---提案型日本語教育の可能性」
[11] 「連載:学級日誌」「KANAN MONTHLY」華南NET。
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