福助9号 |
発行所 :Y.H.アカデミー パトロン:森田ゼミナール様 |
音楽とのつきあい その3 川嶋直子
いつのまにか3回目に突入である。いい加減に終わりにしたいものである。もしかしたら今回も終わらないかもしれないので、読んでくださっている方々にお礼を言いたい。
さて、本題に入ろう。 前の年に東日本(「TBSこども音楽コンクール東日本優秀演奏会」)に出場して、何の賞もとれずに帰ってきたこともあってか、今年は賞をとろうと先生も部員も一丸となって、「打倒、三田中」をうたい文句に毎日練習をしていた。よくもまあ毎日あきずに練習をしていたものである。この年はウェーバーの(確かウェーバー。違うかもしれない。)オベロンという曲を大会に向けて練習していた。日曜日も夏休みもなかった。毎日練習である。その結果が出てか、その年も東日本に出場することが決まり、本当に嫌になるくらい練習をしたのである。 その年は4校出場していた。常連の三田中、習志野の?中(名前を忘れてしまった)は勿論出場していた。そんな中で2年連続出場の私達は演奏をしたのである。 多分それまでで一番いい演奏だったような気がする。どこのパートがミスをしたとか、そういうのが一切なかった。私自身、途中で訳がわからなくなりそうになったものの、きちんと弾けたと思う。 私は緊張しない方なのだが、その日だけはガタガタふるえる程緊張していた。中学最後の大会ということもあったからかもしれない。同じ学年の人すべてがそうだったと思う。緊張しながらも誰もが力を出し尽くしたのである。 ドキドキしながら、皆が結果を待っていた。 発表の時。あの時の部員はあの瞬間をきっと忘れてはいないだろう。 優秀賞をとったのである。最優秀賞ではなかったが、それまで頑張ってきた結果が出たので、誰もが感動していた。私はあの時の感動を今でも忘れてはいない。きっと皆がそうであるように忘れられないのである。 東日本が終わった後に聞いた話なのだが、どうやら私達の学校は一番だったらしい。常連ではなかったので、まだ最優秀賞はもらえなかったようである。当時の私は、三田中の演奏が本当に上手で(確かベルリオーズの幻想交響曲を演奏していた)やっぱりここには勝てないなあと思っていたので、後から聞いた話とはいえ、鼻高々だったのである。 東日本については一つ変な噂がある。 チャイコフスキーをやると賞がとりにくいという噂である。次の年に、三田中、わが西中ともチャイコフスキーの曲をやったところ、賞がとれなかったらしいのだ。上手くなかったという訳ではない。どうやら審査員がチャイコフスキーをあまり好ましく思っていないようなのである。これこそバカみたいな話である。
現在、西中は東日本大会の常連となっているようである。 やっぱり終わらないようである。まだまだ続きます。ゴメンナサイ。 |