アレスト!良く晴れたある日。僕は優雅にも庭で午後の紅茶を洒落こもうとしていた。「おい!」
いきなり後ろから声がした。何だ? と思いながら振り替えると、やたらと緊張した面持ちの男が三人、立っていた。
すると後ろに控えていた、かなり年配の男がズイと前に出てきた。何やら書いてある紙を突きつけるようにして僕に見せた。ついでに黒い手帳も。
逮捕状? こんな薄っぺらい紙が? と、言うことは、この黒っぽい手帳は……まさか警察手帳! 間違いない、これがあの、菊の御紋が入った警察手帳なのであろう。
「な、なんなんですか、これは!
立ち上がりガーデンテイブルを力強く叩く。その拍子に気を落ち着けると言うラベンダーのハーブティーがひっくり返った。
真後ろからの声にたじろぎ、一瞬凍り付く。ゆっくりと後ろを振り返る。若い男が銃を腰だめにして僕を狙っていた。多分この若い男も警察の人間なのであろう。彼の持つその銃はカタカタ、カタカタと震えていた。 トリガーに指を掛けている。この位置からじゃ安全装置が外れているかどうかなんて解らない。まあ、それ以前の問題として、安全装置がどこにあるかなんて知りもしないのだが。ただ、今本当に分かっているのは、下手なことをしたら撃たれてしまうであろうと言うこと。いや、下手なことをしなくても暴発しかねない。
始めに声を掛けてきた、年配の男が僕に指示を出した。
言われた通りにする。若い男の持った拳銃の銃口はピタリと……ではないが、未だ僕の方を向いていると言うことには変わりが無い。
ドスを聞かせた声で僕を脅し、年配の男がゆっくりと歩み寄ってくる。僕の足を蹴っ飛ばすようにして肩幅に拡げさせ、服の上から身体中をバシバシと叩いた。
「持っている訳無いじゃないですか。ここは日本なんですよ。アメリカなんかじゃあないんだ」
「んっ、これは……」
「これはなんだ」
彼は片方の口の端を不自然にあげて言った。 |
ブラインド気が付くと僕は取調室の中にいた……なんてことは勿論なく、聴衆に見守られながら威勢良くサイレンを鳴らすパトカーに乗せられ、若い警官に小突かれながらこの狭い部屋に押し込められたのだ。『結構明るいもんだな』
僕の中のイメージにおいて、取調室と言うものは暗く、陰鬱な感じがするものと思っていたのだが、実際は、サンシェードの隙間から見えるワイヤ入りの窓から西陽が差し込んできていて、結構明るいのだ。いや、眩しいと言っても過言ではないだろう。
「オイ」
「名前は?」
僕は渋々と自分の名前を言った。 僕はこの場所が不愉快だった。斜め前の、少し離れたところで何かを筆記している男のペンがカツカツ鳴るのも不愉快だったし、目の前の中年男のギラついた顔。そして何より仁丹臭い息を、この密閉した空間で吐かれるのには耐えられそうになかった。
「――― 。
中年男はそう言って煙草を取り出し、百円ライターで火をつけ、天井に向かってその煙を吐いた。 ―― 五分くらい経ったであろうか。中年男は二本目のタバコに火をつけている。 もう外は暗くなっているのではないだろうか。この位置からだと外が見えなくて良く解らない。もうだいぶ前から机の上のスタンドには光が点してある。少し、いや大分眩しい。そのスタンドは僕の顔に向けられているのだ。スタンドを被疑者にむけるのは、精神的苦痛を与えるためだとかいう話をどっかで読んだような気がする。ここも、どうやら取調室らしくなってきた。 ―― 二十分くらいは経っているんじゃないだろうか。中年男は相変わらずタバコを吹かしていて、狭い部屋の中は、大分けぶったくなっている。一体いつになったら帰れるのだろうか。中年男はタバコをふかすのが仕事であるかのように黙々と煙草を吹かし、若い男は若い男で微動だにせず、ペンを握って紙と対峙している。幾ら僕が暇な人間とはいえ、くにで養ってもらっている人間達とは比べ物になるほどではない。奴等はタバコをふかすのが仕事かもしれないが、僕のような人間がそんなことをしていたら、たちまちオマンマの食い上げである。やり残してきた仕事もある。
「あの……。」
中年男は如何にも煩わしそうに上体を起こした。しかし、その仕種には待ってましたと言わんばかりの気配が見え隠れしている。 中年男はスタンドの反射光の中、薄笑いを浮かべながら言った。
「あん? 何、言ってんだお前。
なんてことだ!
「私が何をしたって言うんです!」
「なんだと? 何をしたかだと?」
「お前は自分の罪に点いて何も知らないとでも言うのか。しらばっくれるのもいい加減にしろ!
中年男は押し殺した声でそう言った。 |
ルーム僕は署内の、いわゆる『留置場』と言うところに連れてゆかれた。本当はそんな名前ではないと思うのだが、とりあえず地下にあるカビ臭い部屋に監禁されている事は事実である。しかし、本当に地下室があるというのは驚きだ。部屋の中は狭く、汚らしい便器からは悪臭が漂っている。どうも換気が悪いらしく、空気がもったりとしているような錯覚をうける。 はっきり言って気持ち悪い。 壁はコンクリートで出来ていて、白いペンキで塗ったくられている。 ドアは鉄格子……で、出来ていたらどんなに良かったろう。ドアは分厚い鉄製で、小さな覗き窓(ここだけが鉄格子だ)だけが、この部屋唯一の換気の役目を果たしている。
―― いったい、いつになったら帰れるのだろうか。
怖い考えが頭をよぎる。 ―― タバコが吸いたいな ―― 僕は大きなため息と共に、そんな事を考えた。 |
プラシーボ汚いベッドに寝そべり、味も素っ気も無いような白い天井を見ながら思いを巡らす。なんで僕は捕まってしまったのであろうか。幾ら考えても解らない。 考えはどんどん悲観論的(ペシミスティック)になってゆく。 『こんなんじゃ駄目だ』
僕は、ダレに言うでもなく、一人つぶやいた。もっと楽観的(オプティミスティック)に考えてゆかねばなるまい。 |
テオーリアいったい、何が起こったというのか。いったい、僕が何をしたというのか。
盗み。まさか、中学の時の万引き程度(程度というのも変だが)で今ごろ捕まるとは思えない。もう時効であろう。だいたい万引きぐらいで、こんなトコに入るというのも不自然じゃないか。
それに僕が嘘をつく場合は軽いジョーク感覚の、まったく悪意の無い嘘であって、まさか訴えられるほどの嘘を付いた事があるとは思えない。
傷害……これはまず無いと言えるだろう。最近喧嘩をした覚えなんて、まず無い。人を指した覚えも無いし、ぶん殴った覚えも全く無い。だいたい気の弱い僕が喧嘩なんてする訳が無い。中学を卒業してからというもの喧嘩なんて一度もしていないのだから。
それでは、僕は、いったい、何をしたのか。 |
リアル朝、スピーカーから流れるラジヲ体操の音で目が覚めた。やけに頭の中がすっきりとしている。ぐるり見廻す。やはり夢ではなかった。僕は留置場の中にいるのだ。 コトリ ドアの方で音がした。みると朝飯 ―― バタ付きトーストと、コーヒー ―― が、置いてあった。昨日は気が付かなかったがドアの中腹ほどにそのための穴があったのだ。そこから入れられたのであろう。 『冷や飯を食らう』とは、こんな事なのかも知れない。トーストは冷たく、バターの膜が張っている。カップに入ったコーヒーは冷たいよりも、少しだけぬるいに近いと言うだけであって、間違ってもホットコーヒーとは呼びたくないような代物であった。 『まだ有罪と決まった訳でもないのに、酷い仕打ちをするもんだな……』 僕は一人ぼやいた。 冷たいトーストを冷めたコーヒーでムリヤリ胃に押し込み、流し込んで一息つく。 タバコが吸いたい。
切実にそう思った。禁煙なんてしたくなかった。 僕はまた、昨日と同じ事を考え始めた。 |
マスタ・ベィション何故僕は捕まってしまったのだろうか。何か悪い事でもしたというのか。 ……多分、そうなのであろう。何か「社会」にとって不利益な行動をとってしまったが故に、この『社会から隔離された場所』に連れてこられたに違いないのだ。
『社会』。つまり社会とは『人々の集まりによって構成され、ある一定の規範を人々同士の間で設け、そのルールに従う者のみを選択し、再構築されていったされていった世界』である。当然の事ながらその社会規範に適合できずにドロップ・アウトしてしまう者もいる。しかしこの僕が、そのアウトサイダー側に廻ってしまうなんて!
いくら考えても解らない。
とりあえず、僕が何か罪を犯したと仮定してみよう。 |
オーガズム……………。もしかしたら、それこそが本当の罪なのかも知れない。たとえ法に触れていないにしても、社会規範を踏み越えていてそれに気が付かないという事。その罪は間違いなく大きいであろう。 だがしかし。僕以外の人は、自らが犯した罪と言う者に気が付いているのであろうか。 原罪 ―― アダムがエバにそそのかされて食べてしまった禁断の果実。罪の果実。 それだけでは無い。たとい原罪と言うものが存在しないとしても、人は罪を犯さずに生きてゆけるものなのであろうか。僕は何かを食べながら、消費しながら生きている。つまり、動物や植物を殺し、その死骸・死肉によって生きている……否、生かされているのだ。虫も殺さぬような顔をしながら、平気で、動植物の死骸をついばんで生きているのだ。人間どもの生命とは、その他多数の尊い生命を踏みにじる事によって成り立っているのだ。人は罪を犯さずに生きてゆくことなど出来はしないのだ。 ―― 人の子よ! 滅びるがいい! ――
だがしかし。罪を犯す事が本当の罪であるかどうかは、それぞれの、その後に行動にもよるのではないか。そうじゃないか、他を殺す事が罪ならば、人は皆、咎人になってしまうではないか。
僕は怖い ―― 本当に生きていて良いのか。 怖いんだ。生命活動を行う事が。そして、それによって蓄積されて行く僕の罪が。
助けてくれ!
……ハン。無理だな。神とは罪に対する罰の執行者であって、救済者ではない。そして何より、僕は神を信じていない。
どのような罪を犯し、どのような法に触れ、どのような処罰を受けるのか。 |
スペルマ!『被告、前へ』此処は裁判所ではない。何故ならここには陪審員がいない、傍聴人がいない、そして何より、弁護士がいないのだ。しかし、ここは裁判所でもあるのだ。判事せきがあり、告発者がおり、被告人(僕だ)がいる。 つまるところこの形式は私刑(リンチ」)なのであろう。 『被告・内田隆則。あなたはこの席上において虚偽を申し立てたりすると、詐称罪・法廷侮辱罪などで有罪になる事があります。
『あなたはこの席上において真実のみを話す事を誓いますか』
ターン ターン
「被告、内田隆則は、聞かれた事のみを答えるように。また、この席上において全ての発言は記録されます。被告自身の不利になるような事について、被告は発言を拒否する事が出来ます。よろしいですね。被告、席へ戻ってください」
裁判長は困ったような顔をした。多分このような私刑(リンチ)を執行するのは、彼としてもあまり乗り気ではないし、馴れてもいないのであろう。
「良いですか、裁判長。私は、私が私であるために、私こと内田隆則に死刑を求刑致します。
そう僕は……
ここまで言ったとき、僕は己がいかに小さなものかを知った。虫が這ったような痒みを頬に覚え、無意識に手をやった。 ―― 僕は泣いているのか ―― 朧げな視界で裁判長席を見やると、苦渋に満ちた……いや、僕を蔑んでいるのかも知れない、そんな男が僕を見下ろしていた。
ターン
裁判長が二回、木槌を鳴らした。 |
アポトーシス | 細胞の自殺 |
オーガズム | 性的絶頂。オルガスムス |
キャンサー | ガン細胞 |
ゲノム | 遺伝子情報 |
サナトス | 死への欲望 |
仁丹 |
ナポレオンマークの入った臭い奴 オジサン用フリスク |
ジーン | 遺伝子 |
スペルマ |
精子。 |
テオーリア |
観想。静かにものを考えること |
ヒーラ |
正確にはヒーラ細胞。一種のガン細胞なのだが、、、 これは、自分で調べることをお勧めする。 |
フィロソフィア |
哲学者 |
プラシーボ |
偽薬。空実験をする時に使う奴と一緒。 |
マスターベイション |
自慰。オナニー |
ミーム |
模倣子。遺伝子の子供。 |
レゾンテートル |
存在意義(本当はこの言葉は使いたくなかった) |
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